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中世最大の神学者アウグスティヌスの「告白」は、神を信じる信仰者の一つの典型的な心のすがたを教えてくれる。「告白」は大きく三つの部分に分かれる。第一巻から第九巻までが、自分の過去の行状の告白、第十巻が現在の心境の告白、第十一巻から第十三巻までが、神学的、哲学的解釈という構成である。
一貫しているのは、自分の罪や悪や弱さを徹底してあばき、ひるがえって、神の善と偉大さをほめたたえるというアウグスティヌスの姿勢である「告白」の数あるドラマの頂点は、アウグスティヌスの三十二歳のときの回心のドラマである。庭のいちじくの木陰で起る。 私はまだ自分が、それらの〔昔の〕不義にとらえられているのを感じたのです。私はあわれな声をはりあげていいました。「いったい」いつまで、いつまで、あした、また、あしたのでしょう。どうして、いまではないのでしょう。なぜ、いまこのときに醜い私が終わらないのでしょう」私はこういいながら、心を打ち砕かれ、ひどい悔恨の涙にくれて泣いていました。すると、どうでしょう。隣の家から、くりかえしうたうような調子で、少年か少女か知りませんが、「とれ、よめ。とれ、よめ」という声が聞こえてきたのです。瞬間、私は顔色を変えて、子どもたちがふつう何か遊戯をするさいに、そういった文句をうたうものであろうかと、一心に考えはじめました。けれどもどこかでそんな歌を聞いたおぼえは全然ないのです。私はどっとあふれでる涙をおさえて立ち上がりました。これは聖書をひらいて最初に目にとまった事を読めとの神の命令にちがいないと解釈したのです。そこで私は、いそいで〔友人〕アリピウスのすわっていた場所にもどりました。そこに私は立ち上がったときに、使徒の書を置いてあったのです。それをひったくり、ひらき最初に目にふれた章を、黙って読みました。「快楽と泥酔、好色と淫乱、争いと嫉みとをすてよ。主イエス・キリストを着よ。肉欲をみたすことに心をむけるな」(ローマ13:13〜14)私はそれ以上読もうとは思わず、その必要もありませんでした。というのは、この節を読み終わった瞬間、いわば安心の光とでいったものが心の中にそそぎこまれてきて、すべての疑いの闇は消え失せてしまったからです。 神を信じて生きようとする人は、「告白」の内容や回心の方法は違っても、この信仰の決意の告白からはじまる。 |
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松戸教会 牧師 石井錦一
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