世の中にはいろいろな人がいる。そういう人の姿を、次のように表現した人がいる。
人ごみにまぎれて忘れ去られている人
助けて欲しくて声も出せずに寝ている人
はしゃいでいても、内心弱りきっている人
暴れまくって失敗してしまった人
例外なく誰からも毛嫌いされ、理解されないでいる人
なぜかどうしても人をだましてしまう人
負い目ゆえ、自分の正しさも弁解できない人
やればやるほど嫌がられ、置き去りにされてしまう人
怒り狂い、あとで一人でしょんぼりしている人
別れることも、捨てることもできず、これからどうしていいのかもわからずめいっている人
必要以上に罵倒され、何も言えずしょげかえっている人
やり直せず、何事も過ごしてしまった人
愛することにやっきになって、愛されていないことに気づかないでいる人
自分も含めて、いつも上記の人たちとの出会いと交わりがある。多くの人の前で言ってはいけないことをいって、一人の人をひどく傷つけてしまい、もうそこに来られないようにしておきながら平然としている人に対して、皆「あの人には限度というものがない」という。一度言い出したことが途中で間違っても、多くの人の反対にあっても、自分の考えを押し通そうとする人とは、それ以上話し合うのが嫌になってしまう。
こんな人々を多くの人が責める。当然だが、こういう人を認めている私自身も責められる。あんなやつと付き合いたくないと言われれば確かにその通りだ。
しかし、私が今こうして生きていられるのは、私にずっと迷惑をかけられてもじっと耐えて、私からひどいことをされても、それでも私を捨てないで受け入れてくれる人たちがいたからだ。私が当然受けるべき責任をとったら、全く別の人生をたどっただろう。どんなときでも、何の理由もなく私を受け入れてくれた人々がいたからだ。私の人生の最後のところで、「何をしてもどんなことがあっても受け入れてやるよ」と約束してくれる主イエス・キリストがいる。
私だけでなくあなたも、主イエスは受け入れてくださる。