福島県会津若松の牧師のクリスマスの文章を読んで教えられた。
1590年、領主となった蒲生氏郷は、名称を会津から「若松」と改め、鶴ヶ城をつくり、経済や文化に大きな影響を与え、現代の会津若松の地域の基礎をつくった。彼はキリシタン大名であった。当時約2000名のキリシタンが会津にいたといわれる。しかし、その後、会津でもキリスト教が禁止され、大迫害が起こった。迫害を逃れ、山里にたどり着いた人々は、隠れキリシタンとなって、300年におよぶ長い冬の時代を耐え忍んだ。彼らが守り伝えた信仰はついに、1883年に、公に信仰を告白するに至った。
キリシタン時代の会津では、クリスマスといえば納豆だったという。不思議なことに、納豆消費日本一は、福島県だという。県民にとって最も日常的な食べ物であり、純和風な食べ物である納豆と、キリスト教の祝日であり、西洋文化の影響を今も大きく日本社会に強く受けているクリスマスとどうして結びつくのか。これは、救い主イエスの誕生と深く関係している。
イエスは、ユダヤのベツレヘムの馬小屋で生まれ、飼い葉桶の中に寝かされた。つまり幼子イエスは、藁に包まれていた。今は納豆はパックで売られているが、私の子どもの時代は、藁に包まれて作られていた。だから、会津のキリシタンたちは、クリスマスに飼い葉桶で眠る幼子イエスの姿を偲び、納豆を食べてお祝いをしたのだという。
「納豆時」といえば、冬の季語でもある。暗く寒い冬こそ納豆の発酵に適した時であり、納豆を食べて栄養をとる時であると栄養学は教える。会津のキリシタンはクリスマスに納豆を食べ、藁に包まれたイエス・キリストを偲びつつ、きびしい迫害の時代を耐えぬき、その心に秘めた信仰を現代の私たちに残してくれた。藁の中のキリストにより、彼らが感じていた苦しみを喜びに、絶望を希望に、闇は光に、恐れは信仰に変えられて、隠れキリシタンとして、300年も守り続けた。納豆菌の働きで発酵し、熟成した1センチに満たない大豆から、あのネバネバの糸は、12メートル60センチも伸びるという実験報告もあるという。私たちの信仰も、イエスの藁の中で豊かな愛に包まれていくなら、一粒の信仰も、発酵し熟成されたキリスト者として成長することができる。藁の中のイエスを偲びつつ、藁の中の納豆を、子どもの頃に返って、食べてみたいと思った。