いじめ自殺問題が日本中に広がった。東京都教育長、文科相の緊急アピールが発表された。新聞、各雑誌でも「いじめ」についての特集が発表されている。
昨年5月号に、「MOKU」という雑誌の特集の中で、8ページほど書いた。
今回、同じ「MOKU」の編集者より、「いじめ」について「大人は子どもに届く言葉をもっているか」という特集に、子どもにわかる言葉で書いてほしいということで、次のような一文を書いた。
いじめられている子へ
いじめられるということはつらいね。苦しいし、死にたくなる気持ちはわかるよ。でも、あなたは生きている。いのちがあるのは、どうしてだか知っている?わたしは、いじめられたり、ののしりやあざけり、裏切りも受けたことがある。そのとき、「こんなひどい目に遭うなら、死んでしまえば、さっぱりするかな」と思ったこともあります。このような苦しいときに、いつも私のこころに聞こえてきたのは、「あなたが生きているのではない」「見えない大きな力(神さま)によって生かされていることを忘れてはいけない」という言葉でした。自分が生きていると思うと、それをどうしようと自分の自由だと思えてきます。
しかし、私は生きているのではなく、生かされているのだと分かる。私を生かしてくれる見えない大きな力をもったお方は、わたしにどのように生きていったらよいかをはっきりと教えてくれます。あなたは生きているのではない、生かされていまいるのだということを、はっきりと信じて生きてほしいと私は祈っています。
同じような文章で、「いじめる子へ」と、「親たちへ」を書いた。全文を書くことはできないが、「いじめてる子へ」いじめられている子の苦しみを、こんなことぐらい何をしても、何でもないことだと思わないで、その人にとって生き死にに関わる大変なことだと知ってほしいと語った。
さらに「親たちへ」は、子どもは、親がつくるものでなくて、神さまからの「お預かり」している子、「与えられている子」として育ててほしいと書いた。
人間が「もの」になってしまった社会の中で、人間として生きることとは、神によって与えられたいのちによってほんとうに生きることができるのだとわかることである。