最近「国家の品格」がベストセラーになって今なお、多くの人に読まれている。ある雑誌で、作者の藤原さんのインタビュー記事を読んだ。次のような言葉があった。「阪神大震災の時に略奪がなかった事は、被災者が苦しんでいる横で物を盗むとは、最低の行動であり、動物以下の存在であるということを、日本人はわかっていたからだと評価し、そのような卑怯(ひきょう)な行為は許されないという思いや、惻隠(そくいん)の情があったからだと評価している。」と言っていた。
しかし、あのとき、略奪に近い行為があったことを、私は聞いているが、この卑怯を憎む心とか、貧困に対する感受性を養うことも、今の親や教師は出来なくなっている。
農民文学を読んでみると、生まれてきたばかりの妹が医者にも診てもらえず亡くなっていったり、学校に行きたくても農作業の手伝いが忙しくて行けないという話があるが、事実として、つい数十年前まで、日本の社会にあったことである。今は文学や「おしん」の物語によってしか知ることが出来ない。弱いものいじめは人間として最低な行為だということ、惻隠の情、もののあわれなど、万葉集や、文化遺産から、追体験していくことが必要だという。今は書店にも、このような書物が多くある。
藤原さんが語ったことで教えられたもう一つは、「人間は生きなければならないから99%は利害や損得でもいい。しかし、残りの1%を金銭や利害などと、まったく違う価値観で埋められたときに、その人の品性が決まる。人間の品性は、このわずか1%の差にある。99%、お金や利害のことを考えてもよいが、1%を、人間が昔から持っている情緒や形といったもので埋めたときに、その人の『品』というものが生まれてくる。金や損得にまみれてやらざるを得ないときも、そういう事を自分はやっているのだという意識を持つことに、1%の意識がその人間の生き方を変える」ということである。
キリスト者として生きるということには、100%、朝から夜まで聖書、神、信仰と思いつづけて生きるということではない。
“立派な信仰者は、皆そのように生きた、だから私はとても立派なキリスト者にはなれない、洗礼も受けられない”と思っている人が多い。
神を信じる、信じたいという1%の心、品性があなたの人生のすべてを変えることを忘れてはいけない。