朝日新聞に、毎週「愛の旅人」という作品と作者の紹介の書かれた記事が掲載されている。9月22日号に、“松下竜一”のことが「豆腐屋の四季」で紹介された。松下竜一は、大分県の中津市で、7人兄弟の長男として生まれた。高校の成績は一番だったが、吐血して1年休学し、文学を読みあさった。浪人中に母の光枝が、豆腐作りの作業中に過労で倒れ死亡した。父の健吾を助けて19歳で豆腐屋として働く。肺の難病で医者から絶対安静を命じられたが、毎朝午前2時に起き、日が暮れるまで、彼自身の表現によると「言葉を持たぬ獣のように暗い目をして」働いた。25歳の時から短歌を詠みはじめた。文法も知らぬまま、油まみれの指を折って、五・七・五…と数え、胸の中から噴き上げるものを書き付けた。初めての作品が次の歌であった。
“泥のごとできそこないし豆腐投げ
怒れる夜のまだ明けざらん“
彼は自分の孤独や恨み、怒りを歌にぶつけた。
私が松下竜一を知ったのは、1969年か70年ころ「豆腐屋の四季」の本を読んだときだ。徹底した貧乏と眼が不自由で、肉体も病んでいながら、食うため、生きるために、豆腐屋として生きねばならなかった。この貧乏さにほれたというより、貧乏神学生、貧乏牧師を生き抜いてきた当時の私にとって、すべて共感するものがあった。彼とは一度も会ったことがないが、一冊の本によって、自分の人生と似たところを生きた、うれしい友人に会った思いであった。彼は33歳のときに、豆腐屋を廃業して作家になった。67歳で2004年に死ぬまでに40冊以上の本を書いた。彼は自分を「年収200万円の売れないビンボー作家」と名乗っていた。免罪事件をただしたノンフィクション「記憶の闇」や、火力発電所の建設に反対し、環境権を主張する市民運動の先頭にも立った。
「本日もビンボーなり」「ビンボーひまあり」ビンボーに生きることをほこりとした。
神学生時代から牧師になって20数年、まさに「ビンボー牧師」であることを光栄に思って生きてきた。今は、生きるため、食うための、ビンボーからは解放されたが、信仰を持つ出発点は、本当のビンボーもよい。心のビンボーを徹底してわかったら、神から、信仰の豊かさの意味を与えられる。主イエスも、ビンボーのどん底を知っておられたお方だから、私はこの人に従っていくより他に生きる道がないと思っている。