正月というのは、中国から移入された言葉で、「大陰暦の第一の月」という意味。現代の正月は、1月1日の午前0時から始まると考えるようになった。0時になった途端に、挨拶は「明けましておめでとう」になる。この「おめでとう」の言葉を口にすることが、「お正月になった」という気分にさせてくれる。本来、日本の正月行事は、公家や武家の社会と密接な関係にあった。武家社会では、元旦に年賀の日と定めて、家臣に忠誠を誓わせた。この年賀のしきたりが一般に伝わり、知り合いを訪ねる、年始回りとなり、さらには年賀の誓いが年賀状になったと言われている。
教会は、習慣的に「元旦礼拝」を守ってきた。初詣があり、神社、寺などに何千万人が行くと、毎年ニュースで伝えられている。
教会の初詣では、神の前で1年の歩みの守りと恵みを祈り、神への忠誠を誓う日と考えてもよいのかと思う。1年の始めの日とか、新年礼拝において、お互いに挨拶を交わすのは、よいことだと思っている。クリスマスにも、「クリスマスおめでとう」とか「メリークリスマス」と共に言う。私は、牧師として、イエス家を代表して「ありがとう」と言うべきか、共に「おめでとう」と言うのか、とまどうことがあるが、今は素直に、「おめでとう」と言えるようになった。しかし、なんとなくぎこちない。正月は、何のこだわりもなく「おめでとう」と言い合うことができる。キリスト教の大切な祭である「主の降誕」と共に、日本の行事の1年の始めを共に、感謝の「おめでとう」の言葉を交わすことに意味があるし、この習慣も、自らの人生の区切りの一つとして大切にしていきたいと思っている。
クリスマスのお祝いの食べ物と、正月の食べ物には、それぞれ意味も持っていながら違いがある。とくに、正月の食の風習は、単なるゴロ合わせのようなものもあるが、昔の人たちが祈りを込めて考えたものである。正月だから食べておきたいものもあるが、それも正月の不摂生を解消する昔の人の知恵があったといわれている。
日本人の昔から持ってきた、礼儀やしきたりを学びなおすと共に、キリスト教信仰をもって生きるときの、教会生活における、信仰の礼儀やしきたりも、新しい1年の歩みの中で、しっかりととらえなおして生きていきたいと願っている。