日本の宗教改革というべき、鎌倉仏教の指導者には、法然、栄西、親鸞、道元、日蓮、一遍などがおり、それぞれ強調する点は異なっても、みな、日本の精神の歴史に大きな影響を与えてきた。
私の個人的な宗教観の中では、道元、法然、親鸞などに感心をもっているが、私の育った家は日蓮宗であり、毎月、お坊さんが、わが家の仏壇でお経をあげて、長男である私は後ろで手を合わせていた少年時代があった。敗戦後、キリスト者になり、神学校で学んだあと、牧師になった。教会は、千葉県大原教会、御宿、勝浦の教会で伝道をした。日蓮の誕生寺として知られる小湊は、近くであった。さらには、敗戦後は何をしたらよいか迷っていた時は、池上の本門寺の下に数カ月住んでいた。日蓮の誕生の地から、死の最後の寺のそばに住んでいたことになる。
鎌倉仏教の中で、日蓮の果たした役割は大きい。現代も日本の仏教界では、日蓮を信じる宗派が最も大きいといわれている。日蓮を学ぶには、信徒に与えた多くの手紙が残されている。大切な人を亡くして悲しみに沈む人たちへの手紙は、彼の優しい人格は、キリスト教のパウロに似ているところがある。法華経の精神と、釈尊の慈悲深い誓願が、日本の日蓮において受け継がれてきたといえる。
壇一雄の小説に「火宅の人」というのがあるが、その「火宅」という言葉は「法華経」に由来する「三界は安きこと無く、猶、火宅の如し」からの引用で、この経文に何度も、「火宅」という言葉が出てくる。欲望や煩悩や苦しみに満ちた世界は、あたかも火に燃えさかる家であるという意味だ。壇一雄の「火宅の人」も、まさに家庭の「火宅」を自伝的な意味も込めて書かれている小説である。日蓮の生きた時代は、天変地異や国内の混乱、その上法華経宣布(伝道)に伴う迫害(法難)が何度もつづき、佐渡島に流されて文字通り艱難辛苦に生きた。
今、日本のキリスト教界、そして、キリスト者も、この「身命のあるかぎり法華経の修行に命をかけましょう」と言いきった日蓮の法華経の信頼(誓願)にならって、聖書と教会に、私たちの生涯を、イエスキリストに命をかけて、信じていき、この世の「火宅」のなかでゆるがない信仰に生きていきたいと願っている。